あら、快適じゃないか

地元の脊髄損傷病棟、とにかく親切な対応。

バイタルも丁寧で、何かと身体の辛い時にはすぐさま来てくれる。

食事もご馳走。

転院三日目で部屋が移動になったのだが、その不安も瞬時に消える、とても快適な空感だった。

6人部屋のスペースに四人、一人分のカーテンで仕切られたスペースはかなり広くて、落ち着ける。

ブレスコールもあてがわれ、毎回笑顔で優しい態度で応対してくれる。

寝てる時の(ほぼ眠れないが)見廻りも来てくれて、バルーンのチェック、布団を直してくれたり、起きてると

「大丈夫ですか?なんでも言ってくださいね」

と、前の病院とは正反対の対応だった。

「テレビのチャンネルやボリューム、変えたい時も呼んでください、寝る時に切る時も」

ベッドの角度や体向、事細かに見に来てくれるし、食事等の介助、リハビリの先生も優しくて、転院して良かったと、心の底から嬉しかった。

嫁さんが仕事を終えてほぼ毎日来てくれるのも嬉しかった。

「ここに来れて本当に嬉しい、みんな優しくて、安心できるんだ」

嫁さん「ここの病棟の先生はね、ホテル並の対応を患者さんにをモットーにしてるんだよ」

嫁さん「他の病院よりも、ずっと快適なはずだから」

こんな身になって、辛い事ばかりだが、ここでの入院生活はこれから安心出来る。

担当医や病棟の噂の有名な先生も回診に来てくれて、話を聞いてくれる。

「○○さん、○日に治療方針を今の状態から話しましょう」

「前の病院から届いたカルテやDVDを見てると手術した方が良いと思います」

「その首のコルセットも手術を終えて、時期を見て外しましょう」

「そんなもの着けてたら首の力が弱って頭が支えられなくなりますから」

前の病院で半年は着けてなさいと言われたコルセット、それも手術したら1週間で外れるとの事。

ひょっとしたら少しでも回復出来るかもしれない、もしかしたら、右腕も動き出すかもしれない、また、立てるかもしれない。

先生の見立てから、希望が見えた。

「診てもらって、もし、手術受けられたら是非受けたいな」

生まれて初めて受けるかもしれない手術は怖さなんて無く、楽しみで仕方ない物に思えた。

 

今夜はここまで、続きはまた

転院、そして地元へ

待ち焦がれた転院の日が訪れた。

担架で救急車に乗せられ、地元の病院へ。

もちろんサイレンは鳴らさず、普通に移動する。

救急車の窓から見える景色、久しぶりに見慣れた景色を目の当たりにして、嬉しさと希望が胸に込み上げる。

約30分程で到着、地元の良く知る病院、嫁さんの勤務先でもある病院。

救急車から降ろされ、担架から見上げる景色、

「あぁ、帰ってきたんだな」

病院とは言え、地元の景色が嬉しかった。

受付で手続きしてもらい、病室へ案内されるのだが、その前に運んできた職員の扱いが雑。

がっちゃん!どかっ!

担架の下ろし方が荒くて骨折に響く。

初めての大部屋、しかしこの時は広い部屋に、広いスペース、6人部屋に私ともう1人の方の2人、静かなものだった。

「大部屋って、もっと窮屈なスペースで、プライバシーなんてないものかと思ってたけど、ここはキレイだし広くて落ち着くね」

嫁さん「昨年出来たばかりだからキレイなんだよ」

元の産婦人科が無くなり、増築、改装されたらしい。

前の病院での塩対応のトラウマがある私。

全介助なので、また嫌がられるのかと思うと不安でならない。

「また、前の病院みたいに嫌な目に会うのかな?不安でたまらない…」

嫁さん「大丈夫だと思うよ、職員の家族だし。」

嫁さん「まあ、私の職場だし、仕事終わったら顔出すから何かあったら言って」

心強いうえに、面会にも仕事終わったら来てもらえる嬉しさにホッとする。

この部屋は窓から外が見える、窓際のスペース。

とりあえずは良い感じ。

「うれしいな、ここなら外が見えて地元に帰ってきた感じが楽しめる」

青い空、見慣れた看板、基本寝たままだから、何かのタイミングでしかよく見えないけど。

看護師さんも良い雰囲気、この日はとりあえず安心した。

 

今夜はここまで、続きはまた

あれから約一ヶ月

入院生活スタートから約一ヶ月、僅かに動く左腕でベッドの柵に掴まり姿勢を起こそうとしたり、反応がある脚に積極的に動きをイメージし、生まれた目標

「自分の脚で立つ」

にむかって日々ベッドでトレーニングをしていた。

リハビリルームでも車椅子から、抱えて立たせてもらい、血圧低下と戦う毎日、しかしこれが大きな壁。

連日挑むのだか連戦連敗。

歩けないのに下がった血液をポンプさせる事など出来ないわけで、くわえて損傷した頸髄は下がった血液をコントロールなどしてはくれない。

「こんなのでもし脚が立てるとしても、とても持たないで気絶してしまう」

前に書いた過去ログに担当医に懇願しても座らせてもらえなかった理由をここで初めて理解した。

血圧低下したまま上がらず

「死ぬ」

という事からだったのだ。

ここから少し汚い話が入りますが、本当にヤバかった出来事。

相変わらず排便は薬や浣腸、寝たままオムツで排泄すると言う生活。

単座位を取らせてもらえることも増えたので、看護師さんに頼んだ。

「なんとか便座に座らせてください、どうにも力が入らず、出なくて苦しいです」

勿論、拒否されたが、なんとか付き添いして貰いながら、便座に座らせてもらえた。

そしてストンとでた瞬間事は起きた。

出た瞬間に血圧が急低下し、気が遠くなる。

看護師さん「○○さん!しっかりして!」

すぐさまベッドに戻されたが、なかなか遠のきかけた意識が戻らず朦朧としてる。

もし、この時看護師さんがトイレの外から離れてたら、トイレで死んでいた。

しばらくして意識も回復し、安堵した。

後に嫁さんが説明してくれて、排便した瞬間に血圧低下が起こる事を教えてくれた。

とにかく早く血圧低下をなんとかしなきゃ。

ベッドでは脚を出来るだけ動かし続け、ポンプさせるリハビリにいそしんだ。

医師や転院先の職員との面談など、着々と来たるべき転院への時も近づいてきた。

 

今夜はここまで、続きはまた。

お風呂、リハビリ…

あれから長く経って記憶も曖昧で入院生活の中での出来事が前後する事もございます。

三週間ほど経って、転院も決まって、転院の日を心待ちにしながら過ごしていた。

今日は久しぶりの入浴、寝かされたまま台を移し替えられ入浴場へ。

そのままの状態で脱がせてもらい、お湯をかけて洗ってもらった。

看護師「○○さん、久しぶりだからきもちいいでしょー」

いやー、人生で三週間も風呂もシャワーもしない期間なんてなかったから、本当に気持ちよかった。

「ええ、気持ちいいです、ありがとうございます」

受傷時は勿論、絶対安静なので、落ち着くまでは風呂どころか、起こしてすら貰えない。

三週間ほどたまった垢は(失礼)、一度や二度擦っても落ちない。

時間をかけて洗ってもらって、サッパリして部屋に戻り、これまた4人がかりでベッドに乗せてもらう。

後のリハビリルームの移動の車椅子もこんな感じで乗せてもらう、当然自分では漕げない。

「○○さん、久しぶりに外の空気を吸いに行きませんか?」

待ってました!

嫁さんと娘が見舞いに来て、この日久しぶりに外に連れ出してもらったのだ。

嫁さん「お父さん、どう?久しぶりの外の景色は?」

私「寒いけど気持ちいいね、今日は良い天気でよかった」

既に11月も終わり近く、冬の空気が肌寒かったが、青い空が目に染みた。

病院の外まで連れ出してくれて、少し坂もあるのに私を車椅子でドライブに連れ出してくれた。

私「あ、あのロードバイク、GIANTかな?」

自転車で事故したのに、相変わらずロードバイクをみるとはしゃぎ出す。

私「あぁ、もう乗れないのか。サーヴェロ、やっぱり壊れた?」

嫁さん「私が見る限り、フレームもフォークも大丈夫そう、ホイールも振れてないし」

嫁さん「また乗れるんじゃない?」

どこかでその奇跡を願っていたが、事が事、有名な政治家も、同じように乗れなくなった。

今は自転車なんてどうでもいい、家に帰りたい、その気持ちだけだった。

そして部屋に戻り、リハビリルームへ。

寝台を起こす角度と、血圧低下に耐えられる時間も少しづつ伸びた。

ついに直立、高くて怖い(笑)

私「自分の身長のはずなのに、高くて怖いですね」

リハビリ「今度は車椅子から、手すりのある歩行スペースで、ちょっと立ってみましょう。」

この頃、脚が少し動くようになってた。

と言っても僅かなので自力で立てないし、歩けない。

でも、これは大きな進歩、二度と起き上がれない可能性が高かったのだから。

手すりが両脇にある歩行スペースで、リハビリの先生が私を抱えて

リハビリ「さあ、立ちましょう、私が支えてるので大丈夫です」

そしてついに、自分の足で地面を踏み、立ったのだ!

私「おお!自分の脚で、た、立ってる!」

喜びに浸る間もなく、血圧低下でブラックアウトしかける。

しばらく車椅子のリクライニングを寝かせて血圧が戻るのを待つ。

リハビリ「やりましたね!私も嬉しいです!きっとまた歩けますよ!」

僅かに、人の支えがないとままならないが、諦めていた、自分の脚で立つという、大きな奇跡が訪れた。

 

今夜はここまで、続きはまた

汚い事だけどこれが現実

頸髄損傷、脊髄損傷、なってしまうと避けられない問題

「排泄」

ここから汚い事だけど、現実のお話し。

読まずにこの記事はスルーが推奨です。

私は頸髄損傷の上から数えて三番目,ここで頸髄損傷をして、尚且つヘルニアも出てるので、脳からの司令はほぼ身体に伝わらない。

食べれば人間、当然出さなくてはならない

「小○、大○」

便意も感じられない上に、自力で出せないので、小○は導尿のためのバルーンに繋がれて出されてる。

これが稀に上手く管を流れないと膀胱に溜まって痛くなる事も。

そして大きい方。

薬で促し、場合によっては浣腸。

トイレに座れないのでどうするかと言うと、

「紙オムツ」

の中で出すのです。

踏ん張れないのでコレがまた出ない。

長く出せなくて硬くなってるので、どうするかと言うと、

「摘便」

指でぐりぐりされるのです。

幸か不幸か、痛みを感じる。

拷問的な苦しさ。

してくれる看護師さんが何より大変ですけどね。

こうしなければ排泄出来ないのが現実。

時は流れ、三週間ほど経ち、単座位を取らせてもらえる時が来た。

体幹が効かなくて、フラフラ、そして僅か30秒持たず、血圧が下がったまま、意識が飛かける。

血液をポンプさせる機能も低下するんです。

それでもやっと座れた喜びは、本当に嬉しいものでした。

そして私は首の骨と背中の骨を骨折してるので、コルセットしても頭の重みとからだの重みがかかって痛い。

この病院では骨折は手術せず、自然治癒をさせる方向で入院した時説明していた。

「血圧低下は徐々に身体を起こした姿勢で慣らして行きます」

同時にリハビリルームで寝かせた状態で身体をベルトで寝台に固定し、徐々に起こしていくことに。

「辛く感じたらすぐ言ってください」

徐々に起こされる身体、45度まで起きた時に

「やばい、気が遠くなる」

直ぐに寝台は戻された。

血圧を測り、落ち着くのを待ってから

リハビリ「やはり大分血圧がさがりますね、焦らず慣らしましょう」

そして数日続き、ついに直角で起きた景色を見る事が出来た。

「なんだか凄い身長が伸びた気がします(笑)」

視界が高くて怖くも感じた。

血圧低下のため僅か数秒だが、良い見晴らしだった。

これを毎日のリハビリで慣らすのだが、なかなか血圧低下は落ち着かない。

 

さて、今夜はここまで、続きはまた

二週間程経って

入院生活が二週間程経っただろうか。

首にはコルセット、ステロイドの点滴は入院三日で外れたが、導尿のバルーンは繋がれてる状態。

毎日のバイタルの時間と食事とリハビリ、それが唯一の楽しみ。

この日、まさかの出来事が身体に起きていたとは…

「褥瘡」

そう、寝たきり故に出来てしまった。

看護師さんが気付いて手当てをしてくれたのだが、これはショック。

担当医も来て、後の入院生活では細かくチェックする事になった。

褥瘡委員会なるものが見廻りに来たり。

幸い小さなもので、自然と治るらしい。

「座りたいなぁ」

寝たきりって本当に辛いです。

そんなある日、いつもの様に身体に動くよう頭から司令を送って頑張ってたのだが、なんとなく意識した左腕が、天井目掛けて動いたのだ!

これには思わず声が出た。

「お、おお!動いた!」

これだけだが、その日は記念すべき日だった。

嫁さんが着替えを翌日持ってきた時、

「見て!ほら!」

左腕を上げる。

「お!すごいやん!他の所もまた動くようになるよ!」

そしてこの日、大きな希望に繋がるかもしれない知らせが嫁さんの口から。

「うちの病院の脊髄損傷病棟の有名な先生が診てくれるって!」

「従業員の家族でしょ?転院させておいで、手術が必要か、それも診てあげるから」

嫁さん「点滴が外れていれば転院は出来るはずだから、そう聞いた、早速主治医の先生に申し込んでくる!」

その病院は地元の病院で、嫁さんの勤務先なのだが、どうやら脊損病棟という物が近年出来たらしく、そこの先生が脊髄損傷の有名な先生らしく、普段紹介なしでは診てもらえないらしい。

絶望に全てを諦めた日々に明るい光が刺した。

「ああ、楽しみだな、早く転院の日が決まりますように」

この日ほど医療従事者の嫁さんに感謝した事はないだろう(失礼)

 

さて、今夜はここまで、続きはまた。

好きで困らせてるんじゃない…

自分で鼻すらかけない身体。

とにかく看護師さん達が頼り。

しかし看護師さんにも色々いる。

本当に優しくて、

「遠慮なさらず何時でも呼んでくださいね」

数名の看護師さんは、そう言って、よく診てくださった。

心の底から夜の忙しい時に申し訳ない気持ちながらも、安心してブレスコールで呼ばせて頂いた。

食事も食べさせてくれる時、

「食べたい順番、タイミング、遠慮なさらず申し付けください」

安心の夜、唯一救われるのが、一部の看護師さんの居られる日だった。

しかし、真逆に塩対応な看護師も。

ある日の夜、その看護師さんが部屋に来て言った言葉がショックだった。

「○○さん、呼ばないでくださいね、あなたの為だけに私達はいるのではありませんから。」

まさかこんな事を言われるとは。

「すみません、貴方達にしか頼る事ができないんです、困らせたくて呼んでるわけじゃないんです、どうかお願いします」

看護師「とにかく呼ばないでください」

勿論、頼らざるを得なく、呼ばせてもらったが、部屋にもなかなか来てくれない。

それでも来てくれるだけでもありがたいと思えるのです。

頼みの綱のブレスコール、感度の設定もある様だが、鼻息や溜息で反応して、不必要なコールをしてしまう事もあった。

それに鬱陶しさを感じた先の看護師さん。

「○○さん、もうブレスコール外しましょうね」

私「え!?でもナースコール押せないんで、これ外されたら!」

看護師「とりあえずナースコール握ってみましょうよ、親指で押すだけだから大丈夫」

それが出来たら勿論そうしてるよ…

私「感度を変えて下さい、それでどうか」

看護師「感度なんて変えられません」

それから何度もお願いし、ブレスコールは置いてもらえた。

後日、違う看護師(優しい方)に

「いつも不必要に呼んでしまってすみません」

看護師「大丈夫ですよ、試しに少し感度変えてみましょうか?これで息を少し強く吹くだけになるので、寝てる時も大丈夫ですよ」

やっぱり出来るんですよね…

勤務のローテーションで入れ替わる看護師さん達。

今日は優しい方が来てくれますように、心底願った。

 

さて、今夜はここまで、続きはまた。