振り返って。

過去ログ。 

たまに自信で見返して、あの頃を思い出します。

あれから長く経ちましたが、決して忘れることはありません。

 

「恐らく今後は寝たきりになります」

 

この宣告に泣けもせず、叫びもせず、ただ病室で苦しんだ毎日。

 

今は懐かしい想い出。   

 

今もまだ、障害を引き摺って、辛い毎日。

 

でも、その宣告をひっくり返して僕は歩き、進んでいる。

 

望まなくても本能が生を求める。

 

あの事故で死ねれば良かったのに。

 

今も思はない日はない。

 

正直出来るものなら自殺したい。

 

せっかく助かった命。

 

でも、幸せでは無い今。

 

「ああ、このまま泥酔して永遠に眠れたら」

 

毎日願っています。

 

生きたいと心の底から願って頑張っている人達には怒られると思います。

 

僕自信、辛いながらも、なんとか日常を送れています。

 

痺れ、痛み、麻痺、痙性。

 

残りの時間も付き合わなければ。

 

いや、本当は死にたいのでは無く、幸せになりたい。

 

痛みも不安も無く、幸せに。

 

でも、とりあえず食事も排泄も入浴も通勤も、当たり前の毎日を過ごせてる。

 

もう48年も生きた。  

 

いつ死の宣告を受けてもいい。

 

だから今日も人生最期の日までにやりたい事。

 

めいいっぱい楽しもう!

 

 

さようなら、そして二度目の人生スタートへ

転院、手術、リハビリ。

 

半年の入院生活。

 

生まれて初めての大怪我は頚椎と胸椎を骨折、頸髄損傷。

 

六ヶ月、とても長く、辛く、絶望の中で家族と職員さんの支えで頑張ってきた。

 

トラブルもたくさん、ストレスもたくさん。

 

2017年、3月27日、退院。

 


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三か月過ごしたリハビリ病院のベッド横。

 

前回の記事からも色々あったけど、念願の退院を迎えた。

 

午前中に嫁さんが迎えに来てくれて、お世話になった職員さん方に御礼の挨拶を済ませ、片付けていく。

 

もう二度と歩く事の叶わない人生になると思ってたあの日。

 

退院の日には自分の足で歩き、病院を後にした。

 

奇跡、きっとこれも奇跡なんだな。

 

麻痺でぎこちないが確かに自分の脚で歩いている。

 

 

 

さようなら、病院生活。

 

走り出す嫁さんの車の助手席で空を見て色々な事が頭に浮かぶ。

 

もう以前の暮らしはできない身体、そして生涯、毎日が、何もかもがリハビリ。

 

新しい人生のスタートだ。

 

とにかく今は自宅へ帰る事が出来る。

 

先ずはゆっくり過ごすとしよう。

 

事故から退院まで、覚えてる限りを綴りました。

 

あれから長く経ちました。

 

障害が残り、今も毎日苦労はありますが今の身体と上手く付き合っています。

 

当たり前の事、それが僕の幸せ、喜び。

 

これからも自分の脚で人生を歩み続けて行きます。

 

今も同じ怪我で戦う方、その御家族、または違う病気で頑張っておられる方へ。

 

そして健康で怪我なく過ごされてる皆様。

 

この過去ログを読んで頂いて、何か伝わればと思います。

 

今後更新は無いと思いますが、自分でも振り返るのに残しておこうと思います。

 

 

それぞれの限界

リハビリ病院に転院して一月。

「いつまでここに居なくちゃならないの?」

前の病院で嫁さんが

「まぁ一月ほどででられるんじゃない?」

「二週にいっぺん帰ってきたら?」

と言われてたのでその心づもりだった。

が、退院への話はなく、話を切り出した。

「前の病院で言ったよね?俺もう退院したい」

嫁「まだ頑張って、もっと良くなるはずだし」

「いつまで?」

嫁「あと二ヶ月」

 

?なんか話かわってないか?

 

「いや、そんな長期、こんな病院で耐えられない」

「せめて二週にいっぺんは外泊連れて帰って欲しい。」

 

嫁「無理!仕事や子供らの事、あんたの保険の届けで手続きに走りまくって休む間も無いのに、これ以上無理言わんといて!」

嫁「ここに着替え取りに来たり、資格の試験もあるのに、出来ひんわ!」

ついに嫁さんの不満も限界から口に出た。

だけど私自身も心身の限界から

「あと1ヶ月で帰る!二ヶ月そこらでどうにもならんわ!自分でやってしまったけど、耐えられない!」

かなり憤りの声を上げてぶちまけた。

嫁「…わかった」

その日の午後、スマホが鳴った。

父からである。

父「お前、頑張らんか!嫁さん泣きながら電話してきたわ!お前の為を思ってくれてるのに、勝手に退院決めるな!」

これには驚きと怒りとが複雑になってロビーで電話口にブチ切れた

「アイツわざわざ告げ口までしたんか!もうええわ!離婚して勝手にでたる!もうどうでもええわ!」

父「アホな事抜かすな!お前のせいで」

電話を切った。

そりゃ苦労も迷惑もかけただろう。

今度は嫁さんから電話が来た。

嫁「お父さんから電話あったやろ?」

怒りのあまりに怒鳴りかけたが

「告げ口か?ご心配ありがとうございました」

「私は勝手に退院して野垂れ死にますね」

「探さんでええし、これでもう世話しにくる苦労も迷惑もかけへんな、ほな。」

嫁「…わかった。あと一月だけ頑張って。」

身勝手だとは解ってる、だけどもう限界なんだ。

 

翌日嫁さんが来て担当と面談、あと1ヶ月で退院が決まった。

感謝も何も言わず、帰る姿も見送らず、ベッドに戻る。

あと1ヶ月に決まったが、こんな形でむしゃくしゃするなぁ。

 

春までもう少し、退院したらゆっくりしよう。

そう思いながら外を眺めていた。

 

今夜はここまで、続きはまた。

リハビリ病院、コミュニケーション

ひと騒動(起こして)ある意味有名人。

しかしその行動で、他の静かな部屋が空くまでの1週間、個室を無料で使わせてもらったり、何より仲の良い人が出来た。

特にムードメーカー的な人、この方はこのリハビリ病院生活で、最も話するのが楽しみな程仲良くなれた人である。

自販機でリハビリの休憩中、同じ休憩タイミングで訪れては、

「今日もリハビリしんどいなぁ」

「無理して歩いてこけん時や、また三ヶ月のびるでぇ」

「今日のメシもがっかりやな、ワシは部屋でおにぎりせんべい食べるねん」

他にも色々怪我の事やら話してくれるので、この人が居てくれて良かったと感謝した。

作業療法理学療法、一日上手く行くと4回受けられる。

調子の悪い日はマッサージと世間話なんかはありがたかった。

作業療法「〇〇さん、今できるようになりたい事はなんですか?」

「そうですねー、とりあえず来来亭行って自助具なしでラーメン食べたいです」

作業療法「いいですね、頑張りましょう」

そんな一時は楽しくもある。

自助具、もう大半捨ててしまったが、ペットボトルを開けるアイテムや、指を穴に通して使うお箸等、おかげで1人で飲食を取れる事も増えました。

ベッドでペットボトルのコーラを飲みながらテレビを見るのが夜の楽しみ。

夜も深けて、静かなロビーには御年配の騒ぐ声。

こういった方たちは夜暗くしたロビーの詰所の前にベッドを置かれ見守られる。

「家帰るんや!電話かしてくれ!」なおじいちゃん、

 

「助けてください、お願いします、助けてください」なおばあちゃん等、

夜は介護施設である。

朝になると食事のテーブルで、

「〇〇さん、まーたあの人ら、騒がしかったなぁ、夜中眠れんから、喫煙室にタバコ吸いに行って、明け方部屋に帰ってきたんや」

気の毒である。

ただこの人、みんなの事を常に気にかける、本当に優しいお方。

夜就寝前には詰所で、早めに薬飲ませてあげたら?とか、もしくは当人に

「〇〇さん、明日も仕事早いんやからもう休んでや」などと、とにかく良い対応をするのだ。

ある夜静かな詰所、あの人がタバコ帰りに詰所で談話する姿。

私はトイレに行きがてら会釈して、心で思う。

「グッジョブ!」

静かな夜、良い物だ。

 

今夜はここまで、続きはまた。

キレた…

リハビリ病院転院して初めての夜、隣りのお爺さんのイビキが異様にうるさかった。

前のお爺さんは夜中に寝言がデカくて、とても眠れたもんじゃない。

次の日早速、担当の方に報告、相談。

「隣の方のイビキと、前の方の寝言が酷くて眠れません。なんとかなりませんか?違う部屋に私が移動しても構わないので。」

担当「それはすみませんでした、隣の方は何とか理由を付けて部屋を変えてもらいますので。」

とりあえず隣の方は翌日、部屋を変えて貰えた。

この病室にお爺さん方が集まって、向かいの寝言お爺さんと

「あの人なんで部屋を変えられたのかねぇ」

とか長々と話し込んでた。

病室に集まり井戸端会議、オマケに禁止事項のお菓子をバリボリ。

この方達、糖尿病や高血圧あるのに、禁止事項以前に自分でヤバいと思わないのかな?

とりあえずイビキは移動してくれたし、なんとかなるかな?

その夜、向かいの寝言発動。

酷くでかい声で、延々と寝言が続く。

翌日も、その次の日も。

テレビをイヤホンで聴いていても寝言が酷くて眠れません。

何日目かの夜、何時もの寝言が始まった。

プツン←

「やかましいわ!ぼけ!ええかげんにさらせ!」

ついに長い入院生活からの疲れと、このリハビリ病院での様々な不満にブチ切れた!

静かになった。

すると向かいの寝言が車椅子で私のベッドにやって来て、

「なんちゅう口の利き方さらすんや!言い方もあるやろが!」

と、怒鳴り込んできた。

私ももはやリミッターが効かない。

「あぁ!?おどれの寝言がうるさくてたまらんのじゃ!それを毎日を聞かされて、我慢できるか!」

寝言ヒートアップ!

「このガキ!どつき回したる!」

私もファイティングモード、手は動かないが、かかってきたら鼻目掛けて頭突きのロックオン!

「はよこいや!こら!」

寝言が固まった。

その時、深夜の怒鳴り声に詰所から看護師たちが飛んできて、寝言を連れ出した。

看護師たち「〇〇さん、大丈夫ですか?」

私「あんたら、前の病院で面談したんだろうが、なんでこんな事知ってて言わんかったんや!」

後日知ったのだが、このリハビリ病院の面談はあまりにも簡素らしい。

患者の家族も入院出来ないと困るから、色々隠して面談を受けてるようだ。

後日、私が部屋を移動になった。

この部屋は静かで、最初からそうしろよ、と更にこの病室に不信感を持つようになった。

朝食、例によってホールで集められて食べる。

寝言が「あのクソガキ!あいつ許せん!」

とか、同じテーブルの爺さん方に長々とぶちまけてた。

うん、そのうち車椅子こかしてやろう♪

そう計画しながら、食事をとる。

この病院でまだ誰とも口を聞いたことは無い。

無言で食べ始めたその時、同じテーブルの隣の方が

「〇〇さん、昨日は大変やったなぁ、あのオッサン評判悪いねんわ、気にせんと言わしときや」

と、声を掛けてくれた。

「昨晩はお騒がせしてすみませんでした。」

隣の方「いやいや、ここではよくあるんやで、あのオッサン、ワシも嫌いやねん。」

初めて、この病院で話してくれたこの方、後に仲の良い関係になってくれた大切な人。

退院した今も忘れない。

そして、同じテーブルの方達が次々と話しかけてくれて、心が開けた。

同じ頸髄損傷の方達である。

天気の悪い日は

「痺れきついなー、今日もがんばろー」とか、

下のロビーの自動販売機の椅子で喋ったり、居心地が良くなり始めた。

リハ室に行く時や戻る時、はたまた一緒に行く時、喋りながらとか。

そして新しい部屋の夜、静かにイヤホンでテレビを楽しんだ。

 

今日はここまで、つづきはまた。

リハビリ病院へ転院

脊損病棟での入院生活も、12月26日で退院となり、以前から職員が面会に来てたリハビリ病院へ転院する日がやってきた。

枚方の方に専門のリハビリ病院があるからと嫁さんに強く推されたが、そんな遠く一人で耐えられないし、いい加減病院生活にも疲れてる。

せめて少しでも地元近くで面会に来てもらったり、たまに外泊で家に帰りたいのを希望して、少し離れた場所にあるリハビリ病院にしてもらった。

嫁さん「まぁ、1ヶ月位で退院できるんじゃない?」

嫁さん「2週間に一回位、帰ってきたら?」

と言うので私もまあ、あとひと月がんばるか。

とお世話になった脊損病棟に感謝と別れを告げ、リハビリ病院へ嫁さんに連れて行ってもらいました。

ここでは一日に3回のリハビリを受ける事ができ、杖で歩く事は許可されたので、退屈はしなさそうだ。

病院で手続きを済ませ、ロビーで説明を嫁さんと受ける。

日中殆どの人がリハビリルームでリハビリにいそしんでるのか、辺りは人があまり見られなかった。

ご年配の方が食堂のテーブルで折り紙やタオルたたみなどされていて、静かな光景。

部屋に案内される。

「〇〇さん、予定してた部屋が都合つかなくなってしまい、ごめんなさい、この部屋でお願いします」

一部屋に6人分のスペース、大分狭い。

前の病院が特別良かったんだろうな。

テレビは見放題、これは嬉しい。

しかし売店無し、差し入れ等の飲食禁止。

リハビリを受ける方も様々居られて、超高齢の方、怪我以外にも食事制限をしなければならない病気のある方、その方達の栄養管理や誤飲の危険、喧嘩(あるらしい)などトラブルを避けるためにそうしてるらしい。

すでにストレスフル(笑)

「衣装ケースに貴重品を入れたらカギをかけて所持してください 」

「または詰所でおあずけください」

自分のベッドに戻れなくなったご年配が入り込む事もあるらしい。

色々ヤバいんじゃないの、ここ?

不安しかない。

早速、作業療法士が部屋に来た。

「〇〇さん、お着替え、してみてください 」

今日まで全てしてもらってたので、出来る気がしないが、

「キツいこといきなり言ってごめんなさいね、でも、これもリハビリですからね」

一理ある。

トレーナーとズボンを脱ぐのに、とくにトレーナーを脱ぐのは至難を極めた。

腕あがらないし。

なんとか脱いで、パジャマに着替える。

ズボンは履けた。

上着に腕を通すが、寝転がってなんとか。

四つのボタン、大きなボタン。

コイツを嵌め終えたのは一時間。

日中は服に着替え、顔洗い、歯磨き、食事、全て自分で行う。

まあ、リハビリだし、頑張りましょうかね。

リハビリルームに案内される、かなり広い体育館のようなスペースに沢山のリハビリ設備。

さすがリハビリ病院、すごいな。

そしてまた部屋で説明を受けて、明日の予定表をいただく。

夕食の時間が来て、呼び出される。

この病院ではベッドに運ばれず、ご年配の方の危険が無いように見守りながら、大丈夫そうな人もコミュニケーション(いらないよ)を深めるために全員を食堂に集めるらしい。

ストレスしかもうない。

くわえて出てきた食事に唖然。

問題発言かもしれないが、ロビーの意見書きにもあったように

「〇ヌのエサみたいだ」

と言うか足りなさ過ぎるだろコレ。

まあ、患者事に食事が違えば間違いなくこの公で喧嘩も起きるだろう。

しかし私や健康に問題なく、体力もあり、食事が唯一の楽しみな者からすれば、あんまりである。

知らない人達と肩合わせ、向かい合い取るのに苛立ち、すぐさま部屋に帰った。

この病院生活が一番色々な意味で思い出の詰まる病院生活になっていくのです。

 

今夜はここまで、続きはまた。

 

進歩

窓際のベッドスペース、傍らに歩行器。

暇を見つけては自主リハビリに勤しむ。

この日、売店に行こうと思い、看護師さんに伝えてから歩き出す。

「〇〇さん、付き添いしましょうか?」

久しぶりにエレベーターも使って3階から1階の売店へ行くのでお願いしようとしたら、丁度嫁さんが着替えを持ってきてくれて付き添って貰った。

「エレベーター、動いた時に気圧の変化みたいなのが影響しなければいいな」

柔らかい陽射しが窓から入る通路、エレベーターに自分の脚で乗る。

心配していた身体への影響も無く、1階へ着き売店へ。

コーヒーを買う。

さて、小銭が上手く出せない。

店員さんに取ってもらってコーヒーを渡されるのだが、歩行器で歩くのも必死なのに、コーヒー持ちながら歩くのはかなり難しそう。

結局近くの椅子まで持ってきてもらい、座って飲む。

2ヶ月以上ぶりに味わうコーヒー、つい最近まで腕の自重ですら口に持って行けなかった、利き手の右腕は上がらないが、左腕でコップを口に寄せる。

「あー、うまい」

転院以来のロビー、ストレッチャーでは無く、椅子に座っている。

コップを横に置く、手を離す時、気をつけなければならないのは手を離したつもりでも、指が曲がって離れないで倒してしまう。

30分程くつろいで部屋に戻る。

ベッドに横たわり、リクライニングを起こしてもらう。

左の太股にビニールのスマホ入れにゴムバンドを付けてもらったやつが巻かれる。

僅かだが、この状態ならスマホが操作できる。

Twitterへの文の投稿等は無理だったが、閲覧したり、ネットを少し。

ゲームは問題外。

雑誌は持ち上げられなくて、テーブルの上でめくるが1ページずつは無理で、大幅にめくる。

読めないページが多かった。

歩行器で同じフロアにある自販機で買い物したり、辛いが歩ける事が楽しくてとにかく歩きまくる。

歩行器にはバルーン、買い物カゴがぶら下がる。

「〇〇さん、杖で歩いてみませんか?」

リハビリ室でついに杖で歩く!

色んな杖が並べられ、腕に充てて使うタイプを両腕に持ち、ゆっくり動く。

手と足のリズムが難しいが、歩行器からも解放され、より自由を手に入れた。

窓際のベッドスペース、傍らには杖。

2016年も終わりに近い。

 

気はここまで、続きはまた。